2016年05月21日

自転車で事故る(3)

 診断結果が出て、治療は保存的治療。要はおとなしくしときなさい、ということだ。
 事故翌日は結果がわかった安心感や前夜の疲れもあったのか、結構眠っていたような気がする。食事時や血圧を測りに看護師さんに度々起こされていた。

 少しずつ右手の感覚は戻ってきたとはいえ、思うように動かせないし初日と二日目の食事は看護師さんに食べさせてもらった。このとき、女子の看護師さんではなんとも思わなかったが、これが若い男子に食べさせてもらったときは、なんともいえない情けなさが感じられた。
 救急フロアには男子の看護師も多かったが、単なるスケベ心では決してなくやっぱり女子に面倒みてもらうほうが精神的に落ち着いていたように思う。あたりの柔らかというか、母性というか。
 でも、男子なりの楽しさもあって体を拭いてもらうときは、一般男性より少し大きめのこちらの胸の筋肉を見て、必ずと言っていいほど、「大胸筋すごいですね、何かしていたんですか」と驚いてくれる。「そう言ってくれると報われるわ。昔ラグビーをやっていて、今もムダに筋トレを少し」という話から始まり、筋トレ談議に移る、というパターンが繰り返された(笑)

 集中治療室での寝てばかりの初日から、少し落ち着き始めた二日目は、日中も目が覚めている時間も多くなってきた。身体も前日よりは感覚も戻ってきた。しかしそうなると顔も動かせず、眠っている以外はずっと天井だけを見ながら過ごすこの苦しさ。何もすることがないので、足の指を動かして密かに運動するか、少しでも血流を良くしようと、ヨガで教えてもらった深い呼吸を繰り返したりしていたが、とにかく退屈極まりない。まぁでもこうやってじっとしているしかないし、人生の中でこういう時間もあってもいいか、と思いなおそうとするが、退屈なものは退屈だ。

 見えるものは、天井しかないので耳からの情報にものすごく敏感になっていた。隣のベッドに運ばれてきた90歳を超えるおばあちゃんの可愛らしい話しぶり、看護師同士の会話、面会に来る人たちの様子、遠くのベッドで耳の悪い患者さんに大声で話しかける介護の様子、いろんな声や話を聞いていた。
 テレビよりラジオのほうが視覚的な情報がない分、イメージは膨らむ。まさにそんな感じで、それぞれの看護師さんの声やしゃべり方の特徴などから、いろんなイメージを勝手にふくらましながら、寝てるだけの時間を過ごしていた。

 とはいえ、さすがに全くやることがないので、3日目には家族に言って適当に本などを持ってきてもらった。よく考えたら集中治療室で読書する奴もそういないのかもしれない。その翌日には、「予備部屋」と呼ばれていた4人部屋に移されたが、私以外はベッドや車いすが置かれている物置代わりの部屋だった。すごく静かではあったが、これまでいろいろ聞こえていた情報がまったくなって退屈。しかも看護師さんが様子を見に来る頻度も極端に減って、なんだか忘れられているような気分にもなってかなり寂しい。

 そんな段階を経て、5日目には一般病棟に移動し、テレビも見られたり携帯なども使えるようになり、ようやく世の中の動きとつながることができた。
 
posted by お・ at 19:03| 和歌山 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

自転車で事故る(2)

 検査がひと通り済んで、ベッドに寝かされたまま病室へ。
 連れて行かれたのは、救命救急センターのフロア。いわゆる集中治療室というところだった。いくつもベッドが並ぶが、昨年秋に亡くなった親父が手術をした際、術後寝かされていたのとたまたま同じ場所だったらしく、ばあさんはぞっとしていたらしい。

 移動してから、若い看護師さんがパジャマに着替えさせてくれたり、コンタクトを外したり、トイレの面倒を見てくれたりと、いろいろと身の回りの世話をしてくれる。みんなすごく丁寧で優しい。中にはちょっとがさつでいちいち扱いが雑なタイプもいたけど、それはそれでおもしろい。

 ひと通りセッティングが終了し家族も一旦帰り、少し落ち着いた。寝て起きたら死んでいた(死んだら起きないが)というのもチラチラ思いながら、だからというわけではないが、治療室に来たのが夜中の3時を回っていたし、いろんな段取り等々に加えて、やはり痛みもあって結局全然寝られなかった。ような気がする。もしかしたら、うとうとしたのかもしれないが。

 その場所は個室というものではなく、カーテンで仕切られた広い治療スペースのようなところで、いろんなところからいろんな電子音が聞こえる。親父もそれが「うるさくてかなわん」と言っていたが、確かにうるさい。いろんな目覚ましが鳴っているようだ。

 結局、出血による危険な状況には至らず、仰向けにじっと寝たままの姿勢で無事に朝を迎えた。身体は、両足や右手は動くようになったが、左腕・左手に強い痺れがあって相変わらず動かない。

 そんな症状を自分なりにいろいろと感じ看護師さんにも伝えながら、午前中に行われるという整形医の診察をひたすら待った。あとから振り返ってみるとこの時間が、心身ともに一番しんどかったように思う。身体のしんどさもあったが、どんな診断結果になるのかという不安。寝るに寝られないし、さていつになったら診察してくれるのかもわからないし、そもそも今の時間もわからんし、なかなかきつかった。
 事故直後や検査の間は、自分でも不思議なくらいに冷静であったが、どんな判断が下されるのかという診断結果への不安が、知らず知らずのうちに大きくなっていたんだろう。

 頭上に感じる窓の外が明るくなってから、まだかまだかと待って、ようやくやってきた先生は、検査の写真を見つつ、こちらの身体の痺れ具合なども聞いてから説明してくれた。

 第三頸椎が少し欠けている、もともと脊髄が狭い、なので少し神経を触ってしまった、痺れや左手の麻痺はその影響、だがこの程度なら手術は必要なく3週間コルセットを付けた保存的な治療となる、落ち着いたらリハビリを始めましょう、という話で終了した。病名は、中心性頚椎損傷ということになるらしい。診察というよりまさに説明という感じの、かなりあっさりしたものだった。

 手術の必要がないとのことで、ひと安心ではあったが、でもホンマに何もせんと寝ているだけでいいのか、切って治してくれたほうが、ちゃんと治るのではないか、という一抹の不安もあったのは事実。まぁでもこの状態で、セカンドオピニオンもくそもない。

 そんなことを思いつつも、やっぱりまずは結果がはっきりわかっただけで、かなり身体がラクになった。気持ちの影響は大きい。単純なもんだ。看護師さんにもその旨伝えたら、そんな気分の変化もちゃんと記録されていた。
 
posted by お・ at 23:25| 和歌山 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

自転車で事故る

 これまでも何度か自転車での転倒や居眠りなど、失態を繰り返してきたがまたもやヤってしまった。

 年度末を控えた3月下旬、深夜スイスイと帰宅途中、まさかそこに人がいるとは思わなかった車道。――後から考えるとリゾートホテルと最寄りのコンビニの間で、深夜であっても十分歩行者のありうる場所だった。
 まあまあの長い下りを白線を追いかけてそこそこのスピードで走行していて、この白線を見ていたのが大きなミス。

 アッ!と思ったときは遅く、というかアッという間もないほどの瞬時の出来事だった。同じ方向に歩いていた歩行者に接触し、弾みで左側の植え込みにそのままノーブレーキで激突。首を強打して転倒した。相手は衝撃で飛ばされたようで、「なにやってんだ!」と怒鳴り声。幸い先方は、勢いで飛ばされたものの、左側太ももの部分をかすった接触で、特に傷もなかったようだが、こちらは倒れたまま全く動けない。倒れた自転車の車輪の上に、自分の腕がだらりと乗っているのが見えるのだが、何の感触もなく動かせない。自転車をまたいだまんまで倒れており、目線を下に動かすとペダルのところに自分の脚が見えるが、こちらも何の感触もない。手足がなくて身体が小さくなった感じ。まずい。

 ヘルメットをかぶっていたので、その厚みで枕に頭を乗せたように支えられ、横たわったそのままの姿で、相手の男性に「ホンマすいません。そちらは大丈夫ですか」と声をかけつつ「すいません。全く身体が動かんのです」と伝える。
 いきなり後ろからぶつかられ怒り心頭の相手も、こちらの尋常じゃない様子にトーンも変わり、「今、救急車を呼んできてやるから」と近くのコンビニに行ってくれた。

 耳にはBluetoothのヘッドセットを付けていて、スマホに録音していたお笑いのラジオ番組が聞こえている。じゃんじゃか鳴り続ける音楽と違いトークばかりで、ボリュームも控えめにしているので周りの音はちゃんと聞こえており、法的にも問題ないはずだが、事故ってしまうと危険行為となってしまうんだろう。しかも、お笑い系の番組というのが、妙に恥ずかしい。
 これを止めたい、と思ったが両腕の感覚が全くなくてどうにも動かず、それもできない。困ったなぁ、と思っていたら、急に音がスゥーッと小さくなって止まった。一瞬自分が死んでいくかのような感覚にもなったが、目の前の夜の地面は変わらず見えてる。何も操作はしていないが、たまたま耳元のスイッチが押さえられたのか未だにわからないが、何かの力が作用したような不思議な気分だった。

 事故して数分、実際どれくらいの時間だったのかわからないが倒れたままの同じ姿勢で、あーあエライことになってしまった、人生終わったな、と思った。が、ちょっと待て、身体が動かずに生きている人もいる、人生が終わったというのはそういう人に失礼だ、となぜかそこは思い直した。っちゅうかそれ以前に、このまま死んでいくのかもしれん、死ななかったらこれから先の人生どうなるのか、こうなってなかったら自宅に帰っているはずなのに、これをどう切り替えて前向きに考えるか、しかしまぁなってしまうときはホント一瞬だな…などと、なんだかんだといろんなことをわりと冷静に考えていた。

 助けを待っている間、目の前を何台かクルマが通過するのが見えた。幸い、車道と反対側の植え込みに食い込むように倒れていたので、クルマに轢かれる危険はなかったが、止まることのないクルマに、みんな冷たい、案外気づかれないものなのか、などと呑気なことを考える。と、ぶつかった相手が戻ってきて、そのまんまの姿を見て「お前、大丈夫か」と改めて声をかけてくれた。優しい。
「いやーヤバいですね。全然動きませんわ。そちらは大丈夫でしたか。ホンマにすいません」
「こっちのことはいいから」
と、腕を持って引き出そうともしてくれたが、どうにも動かないのですぐに諦めたようだが、あとからいろいろ知るにつれ、このとき無理に動かされなかったのはよかった。

 しばらくして、サイレンを鳴らしながら救急車がやって来た。こういう立場になると、赤色灯のめまぐるしく動く赤い明かりやピーポーピーポーの音が安心する。ばたばたと降りてきた救急隊員が見るなり、「お・さん、どうしたんですか!」。ラグビーの後輩2名だった。「参ったわ。身体が動かん」と伝えつつ、やはり知っている人間が来ると、すごく安心する。

 「絶対に、ほんま動かんといてくださいよ!」と強く言われながら、静かに慎重に引きずり出され、リュックサックも「これ切っていいですか」と切断して外され、ガッチリ首を固定してストレッチャーに乗せられた。
 後輩たちは手際はよく、ラグビーや飲んでいる姿しか知らなかったが、その頼もしい仕事ぶりに、たいしたもんだと、 自分の立場や状態を忘れ感心していた。

 その夜の救急の当番病院が、幸いすぐ近くの総合病院だったようで、搬送されて当時の状況や家族の連絡先などいろいろ聞かれながら、肌着姿に脱がされて診察やらMRIなどの検査やら。

 その日の下着は、ちょっと派手目のスパイダーマンのパンツをはいていた。男性の看護師さんか技師さんかわからないが「お、スパイダーマン、これ私も持ってます」というので「そうですか、家族のUSJのお土産です」。
 実にどうでもいい会話をしていたのは、リラックスさせようとしていたんだろうか。確かに気持ちは落ち着いていた。

 そうこうするうちに、ふと気がつくと足の指やひざなど少しだが動く。両肩が痛かったり手や腕に強い痺れがあるが、左腕以外は少しずつ手足が感じられるようになってきた。

 MRI検査の際には、技師から湿布やアクセサリーの有無を何度か念入りに聞かれたが、検査が終わってから着ていた肌着を見て「あれ?ヒートテックや」「ホンマや、ヒートテックや」と聞こえる。おいおい大丈夫かー。やや不安になったが、こちらは何もわからないし、それ以上の話もないしどうしようもない。後から調べてみると、機能性の肌着だとやけどの危険性があるらしい。

 家族もいつの間にか病院に来ていて、検査画像なども出来上がってきて説明を受ける。こっちは首を動かせないので、天井を見ながら声を聴くだけだったが、脳には異常はない、ただ首の骨が少し欠けており衝撃で神経も少し傷ついている。明日の朝、整形の専門の先生に診てもらってからの判断となるが、もしかしたら神経の手術が必要かもしれない、そうなるとここではできないので、隣のK病院か和歌山市のW医大に行ってもらうかもしれません、それと少し出血が見られるので、これがどんどん続いてバーッとなると大変なことになる、とのこと。バーっとなるという表現もどうよ、と心の中で突っ込みつつ、手術のするしないは特になにも思わなかったが、出血云々を聞いて、もしかしたら朝になったら死んでるかもということか、と深刻な話であるが、そうなんや、とわりに落ち着いて聞いていた。
 
posted by お・ at 21:30| 和歌山 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする