2016年05月27日

自転車で事故る(4)

 今回の事故では、いろんなラッキーがあった。

・相手がいたが、先方はかする程度の接触で済んだ
・とはいえ勢いで飛ばされて転んでいたが、ケガもなく幸い車も走っていなかった
・相手がいい人でよかった
・こちらの転倒したのが、車道と反対側だった
・突っ込んだところが植え込みで、衝撃が和らいだ。
・ヘルメットが衝撃だけでなく、木の枝からの傷も防いだ
・神経の傷つきかたが、まさにギリギリ。これはどの看護師さんからも「この程度で済んでよかった」言われたが、いろんな症例を見てきている人たちだけに、正味そうなんだろう。

 その看護師さんから言われた幸い
・全身麻痺にならずによかった
・欠けた骨は脳に近く、呼吸器系をつかさどる神経が多いところなので、自力の呼吸ができていなかったかもしれない
・排泄がちゃんとできるだけでもよかった
・とにかくこれで済んでよかった

 けがの状況としては、神経を触った加減で、左腕・左手が暫く動かなかった。2ヶ月が経過しほぼ日常生活には支障のないほどに動くようになったが、当初はやっぱり何かと不自由した。1キロ2キロのごく軽いウェイトを持ち上げるのが、重くて重くて仕方ない。筋力や痛みでなく信号が伝わらない、というのはこういうことなのかと実感した。

 手や腕のほかは、両肩に筋肉痛のような日焼けのような痛み、右半身全体の温度への鈍さ、下半身の感覚がどうもおかしく下りの坂や階段でひざが震えるなどの、いろんな場所のなんとも統一感のない諸症状で、神経というのは実に微妙で複雑なものだ。

 一般病棟に移って入院生活としては、携帯も使えテレビも観られるし、しまいはパソコンまで持ち込んでやれることも増えたが、肝心の自分の体のほうがなにかと不自由だった。しかし別に強がっているわけでもなく、なぜか特に落ち込むことも焦りもなかったし、使えないなりに口や片手で対応していた。

 ぼーっとベッドに横になっているときなどは、あの時こうしておけば、というタラレバは幾つも何度も思ったが同時に、なったものは仕方ないし、事故なんて起こるときはこういうもんだ、という気持ちにもなれた。これまでいろんなケガをしてきたのも大きかったと思う。

 それと、すぐに思い浮かんだのは、昔むかしバイクで事故を起こしたB−トたけしだ。退院の記者会見で、画面に映った顔が半分麻痺していた様子に、当時とても強いショックを受けたのを覚えている。しかしその顔が何年も経って今やきれいになっている。時間はかかるだろうけど、そんなビートTけし氏をイメージしながら、まぁそのうち治るだろう、と考えることができた。

 などと思いつつ、ラグビー日本代表のフッカーH江選手が、スクラム練習のし過ぎで骨が変形し首の神経を触って握力がなくなり、手術とリハビリで復帰した、という話を後輩から教えてもらい、ネットでそんな記事を見たときは、その後の活躍ぶりとあわせて大いに勇気づけられた。

 ということは、やはりどこかで不安な気持ちがあったんだろう。

 今回の件は、それなりに治るまでかなりの時間はかかるだろうけど、そんなことも含めいろんな経験をし、いろんなことを考える機会になったのは間違いない。こうやって(あまり笑えないが)ネタにできる程度で済んで、ほんとによかった。
 
posted by お・ at 12:58| 和歌山 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

自転車で事故る(3)

 診断結果が出て、治療は保存的治療。要はおとなしくしときなさい、ということだ。
 事故翌日は結果がわかった安心感や前夜の疲れもあったのか、結構眠っていたような気がする。食事時や血圧を測りに看護師さんに度々起こされていた。

 少しずつ右手の感覚は戻ってきたとはいえ、思うように動かせないし初日と二日目の食事は看護師さんに食べさせてもらった。このとき、女子の看護師さんではなんとも思わなかったが、これが若い男子に食べさせてもらったときは、なんともいえない情けなさが感じられた。
 救急フロアには男子の看護師も多かったが、単なるスケベ心では決してなくやっぱり女子に面倒みてもらうほうが精神的に落ち着いていたように思う。あたりの柔らかというか、母性というか。
 でも、男子なりの楽しさもあって体を拭いてもらうときは、一般男性より少し大きめのこちらの胸の筋肉を見て、必ずと言っていいほど、「大胸筋すごいですね、何かしていたんですか」と驚いてくれる。「そう言ってくれると報われるわ。昔ラグビーをやっていて、今もムダに筋トレを少し」という話から始まり、筋トレ談議に移る、というパターンが繰り返された(笑)

 集中治療室での寝てばかりの初日から、少し落ち着き始めた二日目は、日中も目が覚めている時間も多くなってきた。身体も前日よりは感覚も戻ってきた。しかしそうなると顔も動かせず、眠っている以外はずっと天井だけを見ながら過ごすこの苦しさ。何もすることがないので、足の指を動かして密かに運動するか、少しでも血流を良くしようと、ヨガで教えてもらった深い呼吸を繰り返したりしていたが、とにかく退屈極まりない。まぁでもこうやってじっとしているしかないし、人生の中でこういう時間もあってもいいか、と思いなおそうとするが、退屈なものは退屈だ。

 見えるものは、天井しかないので耳からの情報にものすごく敏感になっていた。隣のベッドに運ばれてきた90歳を超えるおばあちゃんの可愛らしい話しぶり、看護師同士の会話、面会に来る人たちの様子、遠くのベッドで耳の悪い患者さんに大声で話しかける介護の様子、いろんな声や話を聞いていた。
 テレビよりラジオのほうが視覚的な情報がない分、イメージは膨らむ。まさにそんな感じで、それぞれの看護師さんの声やしゃべり方の特徴などから、いろんなイメージを勝手にふくらましながら、寝てるだけの時間を過ごしていた。

 とはいえ、さすがに全くやることがないので、3日目には家族に言って適当に本などを持ってきてもらった。よく考えたら集中治療室で読書する奴もそういないのかもしれない。その翌日には、「予備部屋」と呼ばれていた4人部屋に移されたが、私以外はベッドや車いすが置かれている物置代わりの部屋だった。すごく静かではあったが、これまでいろいろ聞こえていた情報がまったくなって退屈。しかも看護師さんが様子を見に来る頻度も極端に減って、なんだか忘れられているような気分にもなってかなり寂しい。

 そんな段階を経て、5日目には一般病棟に移動し、テレビも見られたり携帯なども使えるようになり、ようやく世の中の動きとつながることができた。
 
posted by お・ at 19:03| 和歌山 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

自転車で事故る(2)

 検査がひと通り済んで、ベッドに寝かされたまま病室へ。
 連れて行かれたのは、救命救急センターのフロア。いわゆる集中治療室というところだった。いくつもベッドが並ぶが、昨年秋に亡くなった親父が手術をした際、術後寝かされていたのとたまたま同じ場所だったらしく、ばあさんはぞっとしていたらしい。

 移動してから、若い看護師さんがパジャマに着替えさせてくれたり、コンタクトを外したり、トイレの面倒を見てくれたりと、いろいろと身の回りの世話をしてくれる。みんなすごく丁寧で優しい。中にはちょっとがさつでいちいち扱いが雑なタイプもいたけど、それはそれでおもしろい。

 ひと通りセッティングが終了し家族も一旦帰り、少し落ち着いた。寝て起きたら死んでいた(死んだら起きないが)というのもチラチラ思いながら、だからというわけではないが、治療室に来たのが夜中の3時を回っていたし、いろんな段取り等々に加えて、やはり痛みもあって結局全然寝られなかった。ような気がする。もしかしたら、うとうとしたのかもしれないが。

 その場所は個室というものではなく、カーテンで仕切られた広い治療スペースのようなところで、いろんなところからいろんな電子音が聞こえる。親父もそれが「うるさくてかなわん」と言っていたが、確かにうるさい。いろんな目覚ましが鳴っているようだ。

 結局、出血による危険な状況には至らず、仰向けにじっと寝たままの姿勢で無事に朝を迎えた。身体は、両足や右手は動くようになったが、左腕・左手に強い痺れがあって相変わらず動かない。

 そんな症状を自分なりにいろいろと感じ看護師さんにも伝えながら、午前中に行われるという整形医の診察をひたすら待った。あとから振り返ってみるとこの時間が、心身ともに一番しんどかったように思う。身体のしんどさもあったが、どんな診断結果になるのかという不安。寝るに寝られないし、さていつになったら診察してくれるのかもわからないし、そもそも今の時間もわからんし、なかなかきつかった。
 事故直後や検査の間は、自分でも不思議なくらいに冷静であったが、どんな判断が下されるのかという診断結果への不安が、知らず知らずのうちに大きくなっていたんだろう。

 頭上に感じる窓の外が明るくなってから、まだかまだかと待って、ようやくやってきた先生は、検査の写真を見つつ、こちらの身体の痺れ具合なども聞いてから説明してくれた。

 第三頸椎が少し欠けている、もともと脊髄が狭い、なので少し神経を触ってしまった、痺れや左手の麻痺はその影響、だがこの程度なら手術は必要なく3週間コルセットを付けた保存的な治療となる、落ち着いたらリハビリを始めましょう、という話で終了した。病名は、中心性頚椎損傷ということになるらしい。診察というよりまさに説明という感じの、かなりあっさりしたものだった。

 手術の必要がないとのことで、ひと安心ではあったが、でもホンマに何もせんと寝ているだけでいいのか、切って治してくれたほうが、ちゃんと治るのではないか、という一抹の不安もあったのは事実。まぁでもこの状態で、セカンドオピニオンもくそもない。

 そんなことを思いつつも、やっぱりまずは結果がはっきりわかっただけで、かなり身体がラクになった。気持ちの影響は大きい。単純なもんだ。看護師さんにもその旨伝えたら、そんな気分の変化もちゃんと記録されていた。
 
posted by お・ at 23:25| 和歌山 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする